宮沢賢治と盛岡、南部紫根染

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宮沢賢治と盛岡、南部紫根染

宮沢賢治が紹介する伝統技法、紫根染

南部紫根染

南部地方を中心に継承されている伝統技法、紫根染。宮沢賢治が小説の題材として取り上げ、紹介したことでも有名です。

南部地方の伝統技法紫根染とは

宮沢賢治の小説に触れる前に、まずは紫根染の概要を紹介します。紫根染とは、古くから日本に伝わる草木染めの技法です。紫根というムラサキ科の植物を染料にしており、高貴な紫色の仕上がりが特徴です。紫根染が南部地方に伝来したのは、鎌倉時代以前といわれています。江戸時代には藩の保護を受けて生産されていましたが、明治になり保護がなくなると技術が完全に途絶えてしまい、その後大正時代に、知識人らの努力により復興を遂げました。宮沢賢治が小説「紫紺染について」で紹介したのは、この復興の過程です。史実を紹介したわけではなく、創作部分がほとんどですが、それでも宮沢賢治の紫根染に対する深い愛が伝わる小品です。

宮沢賢治の「紫紺染について」

紫根染を題材にした、宮沢賢治「紫紺染について」のあらすじを紹介します。構成としては、南部地方を代表する工芸品として返り咲いた紫根染について、その技術がどのように復活したのかを描くものです。工芸学校の先生を中心とした町の人々が、紫根染の技法を学ぶため、唯一それを知る者と思われる「西根山の山男」を晩餐に招待します。酒に酔うと記憶力が向上するという山男は、たらふく飲んで食べたのち、昔父親から聞いたという紫根染の技法のヒントを町の人々に紹介する、という筋書きです。この作品は、事実の紹介というわけではありません。しかし山男や晩餐会など、宮沢賢治らしいモチーフを駆使しながら伝統技法復活の喜びを描いており、紫根染や郷土に対する宮沢賢治の愛がにじみ出ています。

宮沢賢治と盛岡、そして紫根染

宮沢賢治は生涯を通して岩手の自然と深く結ばれ、幾多の作品を通してそれを世に紹介してきました。宮澤賢治は盛岡高等農林学校(現在の岩手大学農学部)に入学し、その後研究生として在籍を続けましたが、その在籍中に「南部紫根染研究所」が立ち上げられています。この研究所が、紫根染復活に取り組んだ中心的な機関でした。すなわち宮沢賢治は、リアルタイムで紫根染復興を見つめていたのです。復活を遂げた紫根染は、1922(大正11)年の平和記念東京博覧会において入賞を果たします。それが報道で紹介され、感銘を受けた宮沢賢治が書き上げたと言われるのが、小説「紫紺染について」なのです。南部地方の郷土を豊かに紹介した宮沢賢治の作品は、いっそう紫根染を身近なものに感じさせてくれます。


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